「勝鬨橋をあげる会」と勝鬨橋の重文指定

山崎 隆司 (株)晴海コーポレーション取締役社長
伊東 孝 日本大学理工学部社会交通工学科教授

伊東――
「勝鬨橋」が国の重要文化財に指定されました。都内では、八幡橋(富岡八幡宮脇)と日本橋に次ぐものです。この喜びを都民のみなさんと一緒に分かち合いたいですね。他に、永代橋、清洲橋も指定されました。
山崎――
結構なことです。本当に地元にとっても、また都民の一人としても大きな喜びです。
重文になって、特に重要なポイントはどんな点にありますかね?
伊東――
「橋の永久保存」でしょう。ですから、架け替えは無くなります。
山崎――
そうなれば、あとは、「夢の跳開」活動に集中できますね。お互い、頑張りましょう。
伊東――
やりましょう。地元と一緒に盛り上げたいですね。ところで山崎社長の会社は、地元への積極的な協力を惜しまない活動をしておられると伺っております。
山崎――
ええ、そうです。当社は晴海トリトンスクエアのタウンマネジメントを担当しておりまして、地元に密着した環境育成を心掛ける大型複合再開発事業の先駆けとして2001年4月に誕生しました。
あなたがた「勝鬨橋をあげる会」はずいぶん前から、「勝鬨橋の跳開」を目指した活動をしていらっしゃるとお聞きしておりますが…。
伊東――
実は、1989年に、7年先の「世界都市博」の目玉として「勝鬨橋をあげる」ことを目標に、ある地域新聞社と協賛の形で中央区明石町にて発足しました。その後、バブルの崩壊で、「都市博」が中止、文字通りの泡と失せたのです。(笑い)
しかし、1993年には今の、「勝鬨橋をあげる会」を有志で発足させました。
片や、「勝鬨橋」は戦前、日中戦争が激しくなったために「オリンピック」も「万博」も中止になりましたが、橋は竣工して今日に至ります。先人たちの熱意と努力には本心敬服しています。
この偉業を次世代につなぐ啓発運動をしていきたいと考えています。
山崎――
先人達はすごいですね。努力といえば、ご存知のように、月島、勝どき地区も、「勝鬨橋」を"あがる橋"として再び命(いのち)を吹き込み、観光資源にしようと懸命です。
2004年発足のNPO法人「水と緑と光に輝く中央区研究会」は、月1回程度、地元関係者と一緒に「勝鬨橋」の清掃をしており、当社も、同NPO法人に加入し、地元のみなさんの夢実現に全面的に協力しています。
伊東――
すばらしいことですね。わたしたちも2004年に、「月島をよくする会」、「隅田川市民交流実行委員会」、「勝鬨橋をあげる会」の共催シンポジュームを開催しました。住民や都民の意識を喚起するのに
役立ったと自負しています。
山崎――
それはよかったですね。こうした中で、時たま、各団体の活動の仕方、考え方が合わない…との声も聞こえますが、個性をもつみんなが纏まって、これから先の目標に向かうならば、そのエネルギーの相乗効果は、縦糸と横糸が織り成す強さや美しさを秘めることになると思います。みんなの団結で、「跳開」実現に向けた力強い飛躍を切に願います。
伊東――
冨士山の頂上を目指す御殿場、冨士吉田からの登山道に似て、それぞれ見る風景と苦楽(活動)は異なっていても、「あげる」という目標は同じですからね。
みんなで創り出すシナジー効果とは、例えば、地元の積極的な行動力と夢実現にむけての意志力、および、わたしども「勝鬨橋をあげる会」の資料提供や全国に広がる会員からの意見などが相まってのことといえるでしょう。
これらの総合力で、ウオーターフロント沿いの「勝鬨橋」周辺を近代の歴史が感じられる癒しの下町観光地域とすることが望ましいと思います。
山崎――
地元NPO「水と緑と光に輝く中央区研究会」と「勝鬨橋をあげる会」、その他の「跳開」を目指す団体が小異を捨て大同に着いたときの相乗効果が、地元、中央区、東京都、国の関係筋を巻き込んで、
大きな本流へと進むと思いますし、それを切に望みます。
われわれ日本人の先輩たちのすばらしい偉業である「勝鬨橋」を、東京の観光資源として復活させ、次世代を担う若人に語り継ぎ、素敵な贈り物としてプレゼントできれば、こんな有意義なことはありません。
"If you can dream it, you can doit."(夢を描けば、夢は実現する)は、私の好きなウォルト・ディズニーの言葉です。私も微力ながらみなさまの夢実現のため、大いに汗を流したい心境です。
伊東――
「勝鬨橋」は、2010年(6月14日)で70歳の古希をむかえます、しかも重文になりました。「跳開」前の大プレゼント企画として、来年から、ホップ、ステップ、ジャンプの3段跳び方式の定例のイベントをみんなで企画しませんか。
山崎――
なるほど。えっ、そうだとすると矢田区長さんもそうですよ、確か。「勝鬨橋」と同じ年に生れたとお聞きしたことがあります。(お互いニッコリ)
伊東――
そういえばシンポジュームのとき、「勝鬨橋」と生れ年が同じ、とおっしゃって、表と裏にイラストと写真があって、「勝鬨橋を上げよう!」が入った名刺をいただいた覚えがあります。(笑い)
山崎――
そうです。近々お会いしてその話も提案してみますか。
来年のホップ・イベントまでに、あと1年しかありませんから、何かを企画するなら、検討を早くしないといけませんね。
伊東――
イベントに使える資料もいくつか手元にありますから提供できます。
本日は、良いお話ができたいへん有意義な日となりました。
山崎――
私も意義のある楽しい日になりました。これから、地元関係者と一緒にみんなで団結して夢実現の活動が続けられるようにご協力したいと思います。

※お二人の胸襟開いたさわやかな会話に、私の心も弾みました。(担当・加藤豊)

(PONTEより転載)


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