「勝鬨橋をあげる会」と勝鬨橋の重文指定(PONTE27号より転載)

伊東 孝

関連資料(新聞記事)

 今年(2007年)の4月21日、隅田川にかかる震災復興橋梁の永代橋・清洲橋とともに、勝鬨橋の重文指定の記事が新聞紙面を飾った。毎日新聞では、掲載紙面の28ページ(14版)に「勝鬨橋など11件を重文に文化審答申幼稚園舎初指定へ」と掲載、中見出しには、「永久保存に道『あげる会』歓迎」とあり、わたしのコメントも紹介されている。永代・清洲橋の名前がのらずに、勝鬨橋の名前が見出しに掲載されたことは「あげる会」としては、たいへんありがたい。取材に協力したお礼かなと、勝手に解釈している。また一面の新聞名の下のNEWSLINE欄には、清洲橋の写真とともに、「重要文化財28」とあり(28は紙面ページ)、写真のキャプションには「関東大震災後『帝都復興の象徴』として建設された東京・隅田川の清洲橋などが重要文化財に指定されることが決まった」とあるから、紙面的にはバランスをとったのかも知れない。これで都内にある重要文化財の橋は、八幡橋(富岡八幡宮脇)、日本橋をふくめ全部で五橋となる。このうち八幡橋は、土木構造物がまだ文化財の範疇に入る前に指定された橋である。
 25年前(1982年)に「東京の橋研究会」を立ち上げたわたしとしては、永代橋や清洲橋についても語ることはいろいろあるが、その後、「東京の橋研究会」は、「勝鬨橋をあげる会」と合流したので、活動歴としてはいまや「勝鬨橋をあげる会」の方が長い。
 勝鬨橋が重文指定されたことは、気持ち的には、「わたしどもの活動の成果」と書きたいのだが、もちろん「あげる会」の活動だけで今日の重文指定となった訳ではない。
 しかしわたしどもの活動が、勝鬨橋の重文指定にそれなりの影響力をもったことはいえるのではないか、と自負している。現に都の職員の方から、「『あげる会』の活動は、かつて橋の架け替えプランのあったとき、都庁内の保存派の力になった」と聞いたことがあるからだ。

 わたしどもの活動は下町新聞社との共同活動をふくめると、かれこれ20年になる(正確には19年)。また「あげる会」の発足(1993年)からは14年になる。
 勝鬨橋がいかなる理由で重要文化財に指定されたのかについては、いずれ文化庁が責任監修している『月刊文化財』の7月号に掲載されると思うが、報道資料や「あげる会」でいままで調査した内容を簡単に整理してみる。
 勝鬨橋の重文指定理由は、以下のように説明されている。

 勝鬨橋一基(東京都中央区築地、勝どき)
 東京都(同新宿区西新宿二丁目八番一号)
 (一)指定基準
 「(二)技術的に優秀なもの」による。
 (二)説明
 後述。

 最初に重要文化財の名称と数、所在地、( )内は管理者住所そして管理者名が記されている。
 橋を数える場合、一橋、二橋と数えるから「一基」と数えることに違和感をもたれるかも知れないが、これは近代化遺産特有の数え方である。近代化遺産には、産業・土木と交通の三種類の遺産があり、これらを共通して呼ぶために考えられた数え方である。

 指定基準は「国宝及び重要文化財指定基準」で決められており、「各時代又は類型の典型となるもの」で、次の五つの指定基準のいずれかに該当するものとされている。
 (一)意匠的に優秀なもの
 (二)技術的に優秀なもの
 (三)歴史的価値の高いもの
 (四)学術的価値の高いもの
 (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの

 勝鬨橋の場合は、前述のように(二)の「技術的に優秀なもの」となっている。
 指定理由の(二)の「説明」欄には、勝鬨橋の構造や技術、設計者や関係者などが書かれ、最後のパラグラフで文化財的な価値と意義が以下のようにまとめられている。指定理由で一番の要となるところだ。

  「勝鬨橋は、海運と陸運の共栄を意図した特殊な構造形式を備え、旧態を良好に保持する数少ない可動橋
  の一つであるのみならず、我が国で唯一のシカゴ型二葉式跳開橋として貴重である。また、可動橋研究で
  重要な役割を果たした成瀬勝武の設計指導に基づき建設された、我が国最大の可動支間を有する大規模
  で、かつ、技術的完成度の高い構造物であり、近代可動橋の建設の一つの技術的到達点を示すものとして
  重要である。」





 可動橋は、貨物輸送を船に頼っていたころの産物で、日本では臨港鉄道に多く架けられていた。道路可動橋をふくめ、近代には46の可動橋が架設され、現存するのは勝鬨橋をふくめ7橋のみである。参考までに6橋を年代順にリストアップすると、以下のようになる。

 和田旋回橋(鉄道橋、M33、兵庫県)
 名古屋港跳上橋(鉄道橋、S2、愛知県、登録文化財)
 末広橋梁(鉄道橋、S6、三重県、重文)
 的場橋(道路橋、S6、香川県)
 長浜大橋(道路橋、S10、愛媛県、登録文化財) 
 旧筑後川橋梁(鉄道橋、S10、福岡・佐賀県、重文)。

 この他、私自身は写真でしか確認していないが、佐賀県に花宗川橋梁(鉄道橋だが、現在道路橋?、S8)が現存しているという。勝鬨橋をふくめ重文が3橋、登録文化財が2橋であり、今や文化財の可動橋が多くなっていることがわかる。
成瀬勝武という人は、関東大震災後の帝都復興院(後に復興局)で橋梁の仕事に従事し、橋梁課の筆頭技師として活躍した。御茶ノ水の聖橋や今はなくなってしまった数寄屋橋は、彼の設計である。復興事業の終了後は、日本大学の教授として橋梁工学の講座を担当した。この間、東京市橋梁課の嘱託もしている。勝鬨橋の可動部を実際に設計したのは、 東京市の技師安宅(やすみ)勝であった。安宅は成瀬と相談しながら設計したのかも知れない。
 勝鬨橋が重文指定になったので、架け替えられる心配はなくなった。わたしたちの活動も第二段階に突入し、いよいよ会の名称である「あげる」ことが目標になった。
 みなさまのより一層のご支援をお願いしたい。

  いとうたかし
  ◇1945年神奈川県川崎市生まれ。東京都立大学卒業、東京大学大学院博士課程卒業、工学博士。
    土木史、都市計画、景観工学を専攻、現在、日本大学理工学部社会交通工学科教授。単著に
    『日本の近代化遺産』、『東京再発見』(以上岩波新書)、『東京の橋』(鹿島出版会)、
    『水の都、橋の都』(東京堂出版)。
    共著に『水の東京』(岩波書店)、『四谷見附橋橋物語』(技報堂出版)、など。


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