勝鬨橋をめぐる最近の新聞報道

伊東 孝

■平成14年12月「読売新聞」
まず最初は、読売新聞の日曜版で連載されていた「近代化遺産ろまん紀行」の最終回(平成14年12月22日)で勝鬨橋が紹介されました。小見出しのなかに「実るか―『再開』を望む声」あり、次のような記事があります。「『みんなのチエを集めて勝鬨橋をあげる会』を八九年に発足させ、活発な運動を展開している日大教授の伊東孝さん(都市計画史)は先年、この橋のモデルとなったシカゴの可動橋を調査した。『中心部にある二十三の可動橋は、すべて現役です。市当局も、国防上の観点から船が常に航行できるようにしておくのは当然と語っていました。……イベントとして上げれば下町の活性化にもつながります』」と、「あげる会」のことと私のPRをしてくれました。そして最後を次のように締めます。
「じっと思考していた恐竜は今、何か言いたげだ。重たい口を開きたがっている。
『橋が上がるのを見たい』。ただそれだけの遊び心で、橋が上がるとき、日本人の真の近代化が達成されたと言えるのではないか。勝鬨橋が開くとき、日本文化の明るい未来も開かれるに違いない。」
勝鬨橋のアーチを双頭恐竜にたとえ、遊び心で橋があげられるようになったとき、はじめて日本人が真の近代化を達成すると説きます。

■平成15年2月「東京新聞」
平成十五年になってからは、東京新聞が先陣をきります。二月七日「勝鬨橋“雄姿”再び」と大見出しがあり、「三十年ぶり開閉検討、中央区『観光の目玉に』」と中見出しがあります。勝鬨橋は東京都が管理している橋なのですが、中央区が開閉を検討しているというのです。記事を読んでみますと、「過去に開閉話が持ち上がったが実現せず、中央区が新しい観光の目玉として、再検討することになった。地元の住民や企業などで研究会を設立し『早くて二、三年後』の再開を目指す」とあります。来年か再来年後に橋があがりそうです。もう少し先を読んでみます。
「開閉する臨時設備設置のために約二億円かかるとみられ、民間の協力も仰いで賄う方針。橋を管理する都とも協議する」。
都と相談しておこない、お金は二億円と踏んでいます。わたしたちが十五年前に「橋をあげよう!」といったときは、三〜四億円かかると見積もったのですが、15年後になって物価もあがっていると思うのに、それより安く2億円です。“臨時設備設置”が味噌のようです。
「区の担当者は『地域のシンボルとして橋を再生することができれば』と意欲をみせている」と結んでいます。担当部局も決まっているようです。
東京新聞の記事は、わたしたちの会にとって寝耳に水だったので、話がどこまで進んでいるのか、中央区に聞きに行きました。担当は商工観光課で、ことの真相は次のようなことでした。
中央区では、区内の活性化対策を検討するため、「都心再生会議プログラム」の委員会を設置、その報告書が年度末に発表されました。報告書は、活性化対策としていくつかの項目をあげ、それぞれ基本的な考え方と具体的な事例案が紹介されています。その中の項目のひとつに観光政策があり、観光資源として勝鬨橋をあげることなどが具体例として紹介されています。この報告書をみた東京新聞の記者が、「都心再生会議プログラム」の全体像を紹介するより勝鬨橋をあげることの方がニュースになるとして、新聞のような紹介の仕方になったのです。報告書にはいろいろな政策メニューが書かれていたのですが目新しいものはなく、勝鬨橋をあげることが一番ニュース性があったことがわかります。別の言い方をすれば、中央区にとって勝鬨橋をあげることが、一番、観光の目玉になるということです。これを引き金にして、区の活性化策を検討すべきことがわかります。報告書の中から、「勝鬨橋をあげること」の一項目を目ざとく見つけ出して、ニュースにした記者の着眼点と記事の出し方にも拍手を送りたいと思います。
新聞に紹介されたことによって区も励まされました。区としては、報告書の段階では五年後ぐらいを目標に考えていたらしいのですが、新聞に「二、三年後」と書かれ、わたしたちがヒアリングに行ったとき、「三年後は勝鬨橋の完成後六十五周年にあたる」といったことにも関心を示したようで、その後の話では三年後が目標のひとつになっています。

■平成15年5月「中央区民新聞」
「中央区民新聞」。このような新聞があるとは、寡聞にして知りませんでした。すると区毎に新聞があるのかな、と余計なことを考えました。本題にもどり、五月十二日付けの一面に区長とのインタビュー記事「五期目の矢田区長にインタビュー」が掲載され、その中で区長が勝鬨橋をあげることについてふれています。
「観光行政、これは力を入れたいと思うね。……勝どき橋を月に一度ぐらいは開けるとかね。いろんな観光資産が中央区にはあります。……民間と力をあわせてすすめたいですね」
区長は、月に一度ぐらいあげることを考えているらしい。それにしても記者さん、「勝鬨橋」はぜひ漠字で書いてね。

■平成15年6月「中央区民新聞」
再度「中央区民新聞」、六月三十日付。
区議会の定例会の論議をまとめた記事が掲載され、その中の小見出しに「勝どき橋を開ける」(依然としてひらがな表示)とあります。
「区は今年の予算で新たに観光資源開発研究会を設置して中央区を観光の面から再生していく方針を打ち出した」。研究会の名称は「観光資源開発研究会」であることがわかります。この中で“勝鬨橋をあげることも検討対象のひとつとして議論されます。
自民党の二瓶文隆議員が、勝鬨橋をあげることは「元気の発信にもなる」が、区の決意がどれほどあるのかを聞いてくれました。区長の答弁。「日本一の可動橋の開橋はこれまでと異なるダイナミックな景観を生む。交通や多額な経費の問題もあるが、本区の観光の目玉の一つとして、東京都などの関係機関に働きかけ、実現に向けてつとめてまいりたい」
矢田区長は、「勝鬨橋をあげること」を選挙公約(今流行の言葉でいうとマニフェスト)の一つにしていたといヽつ。期待しよう!
新聞記事は、まだまだあります。

■平成15年7月「毎日新聞」「東京新聞」
二つの新聞で勝鬨橋についてふれています。共に、七月三日付。なぜ日にちが一致したのかというと、二日の第二回定例都議会で立石晴康都議が、勝鬨橋をあげることについてどのように思うか、石原都知事に質問したからです。
毎日新聞の見出しは「勝どき橋開閉ヘ意欲、都議会で知事」(ここも橋名はひらがな)、東京新聞は「知事『勝鬨橋開いて名所に』」ですが、下の方の見出しには「都建設局全面改修必要実現は難しい」と担当部局の見解も掲載しています。
それはともかく、知事の回答を紹介しましょう。なお立石都議は、中央区に選挙地盤をもつ議員さんです。
「企画として面白い。今後、地元の区や警察、民間含めて相談したい」と実現に興味を示したそうです。また「ちょっと交通渋滞するかもしれないが、閉塞した気分をぱっと広げ上げるためにも、よいイベントじゃないかと思う」と発言。
これに対し、担当の都建設局。東京新聞の取材に対してなぜ「実現は難しい」と答えたのでしょう。「全面改修に近い補修が必要と思われ、コスト面を考えても実現は容易ではない」。しかし「機械の状態確認と整備改修費用を試算する」とのことです。
知事の発言は、勝鬨橋をあげる運動を一歩前進させ、押し進めてくれました。

(ponte No.19より)



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