No32 2009年秋冬号

hyoshi






●伊東孝/橋のある「まち」26
 近代土木遺産と登録土木遺産の比較(2)
(Ponte31号より続き)


二、土木構造物の登録を増やすだけでよいのか?
  ――インフラシステムとしての登録

 はじめに登録土木遺産 の数が少ないといったが、それでは、登録土木構造物の数を増やせばよいのかというと、そう単純な話でもない。というのも、登録土木遺産にしろ近代土木遺産 にしろ、土木構造物本来の機能であるシステム的な観点がぬけていることが問題である。土木構造物、いいかえれば水道・電気・鉄道などの近代社会の基盤設備 であるインフラストラクチャーは、本来システムとして機能している。できればシステムとして保存したいし、一般の人にはそれを見、理解してもらいたい。表 -1(前回のNo31参照)にある構造種別の橋や隧道は、道路や鉄道を構成する一要素であり、堰堤にしても、発電施設や水道施設を構成する一要素なのであ る。
 本来土木構造物といった場合、道路や水路や河川・掘割を含んだ線的な施設や土地を含む。ま た都市計画や住宅団地の造成、埋立や干拓などの面的造成も土木事業である。しかし構造物としてとらえるのはむずかしい。では、どうすればよいのか。
 線的な施設として認識できるような選定の仕方は、すでに工夫されている。たとえば並木や運 河・用水路・集水溝・暗渠・石畳・軌道・護岸・防水壁などは、登録文化財として登録されている。
 システムとしては、関連する要素構造物群をひとつずつ選定することで工夫している。最近の 例では岡山県の奥津発電所施設があげられる。
登録有形文化財は、基本は構造物単位なので、切り通しや掘削水路や河川、素掘りトンネルな ど、一見しただけでは人工的な構造物なのか否かがわからないものや田園調布や成城などの都市計画や街路計画、区画割など、面的な事業を今後どのように認定 して行くかが、課題であろう。

三、数―「歴史遺産を活かしたまちづくり」 には程遠い
 文化庁長官の河合隼雄 氏は昨年の文化の日のシンポジウムで、登録有形文化財の目標数を三万をめざして頑張れと激励した。国宝と重文の数、および登録有形文化財の五千をあわせて も一万に満たない状況をどうとらえたらよいのか。何をもって比較するか、である。ここでは、本稿の趣旨である「歴史資産を活かしたまちづくり」から考えみ たい。
 三万の数は、現在の文化財の数を基本にすると多いように感じるかも知れない。土木遺産に限 れば、登録有形文化財の比率から考えると、多くても一割だから三千件となる。土木学会がまとめた『日本の近代土木遺産』のリストのすべてが登録有形文化財 になる勘定である。しかしこれでも「歴史遺産を活かしたまちづくり」には程遠い。全国で三万であっても、一県あたりにすれば六百件ぐらいである。ここでい う歴史遺産とは、建築遺産、土木遺産、産業遺産の三種類を考えている。
 六百件あれば多いと考えるかも知れないが、本論で考えている「歴史遺産を生かしたまちづく り」は、以下のような街を想定している。文化財はもちろんあるけれども、文化財には指定・登録されていないが、歴史性の感じられる建造物が回りに点在する ような街である。まち歩きをすると、歴史的建造物が視野の中に必ず入るような街をイメージしている。歴史的建造物は分散しているが、視野領域の中にはひと つや二つの歴史的建造物を必ず認知できるような街である。経験的には五百m四方の面積に少なくても四~五件ぐらいの歴史遺産が分散配置していると街歩きを 楽しめる。しかしこれで“歴史遺産のあるまち”として認識できるか否かは別問題である。
 学生生活を終え、ヨーロッパの街並み見学したときの衝撃を忘れられない。教会の塔にのぼっ て街並みを俯瞰したとき、街並みが通りに沿うだけでなく、屋根瓦の海がずっと遠くまでとぎれることなく広がっていた。日本のように町並みをみるために、地 方都市へ行く必要性がなかった。ヨーロッパの旧市街を歩くことは、そのまま街並み見学をしていることになる。街道に建ち並んだ線的な日本の町並みしか見て いなかった認識は簡単に吹き飛び、街並み見学の目的を早々にはずしたことを思い出す。
 英国では、日本の重要文化財クラスの建築物だけで三十万件を越す。この他に、土木遺産や産 業遺産がある。
 「歴史的遺産を活かしたまちづくり」をするには、圧倒的に数が足りない。
 千や万の単位を目標とするのではなく、〇の数が一桁や二桁多い、十万単位を目標にしてほし い。そのためには文化財担当者のスタッフも増やす必要がある。

四、利活用―構造パターンと「飯の食える 土木史」
(1)土木遺産の構造パ ターンによる利活用
 土木構造物の利活用を考えるとき、箱物・洞窟系、骨組み系、塊系に分けると考えやすい。箱 物・洞窟系は、囲われた空間として利用できるので、美術館やレストランなど建築的利用ができる。洞窟系にしても、ヨーロッパなどではかっての地下にあるワ イン倉庫をレストランに再利用している。給水塔なども同じ意味合いで考えることができる。これに対して利活用のむずかしいのが、骨組み系と塊系である。骨 組み系の代表は橋であり、塊系の代表はダムであり、土木構造物の特徴といえる。構造物として集客効果があっても、休憩所をかねたコーヒーショップやレスト ランなど、箱物系施設が必要になる。
前述したように土木構造物には、道路や軌道敷などの線的な施設もある。廃線跡めぐりは一時期 ブームとなり、多数の本も出版されている。雑草や樹木が生え放題の廃線跡もあるし、ハイキング道路や自転車道や歩行車道・道路に利活用されているのもあ る。個人的には荒れ放題の廃線跡も魅力的と思っているが、安全に多くの人が楽しめるという観点に立てば、それなりの整備も必要だし、それが市町村の活性化 に役立てばそれに越したことはない。遺産も長持ちする。
 土木構造物だけの利活用には限界があるので、建物・産業遺産などをふくむ歴史遺産を総合し て利活用を考える必要がある。箱物・洞窟系や骨組み系、塊系の点的遺産と面的遺産としての産業遺産を、道路や廃線跡などの線的遺産でネットワーク的に結び つけることが大切といえる。ところどころに箱物系施設を利用したコーヒーショップやレストランがある。またミュージアムをつくり、遺産やネットワークの説 明や意義を学習できるようにもする。説明には、ストーリー性も大切である。

(2)「飯の食える土木史」をめざして
 土木史の世界では、「飯の食える土木史」が大きな目標になっている。土木史を専攻した学生 が社会に出て働ける職場をいかにつくるかということである。そのひとつの可能性を登録有形文化財制度に期待したいと思っている。
 今まで土木の世界では古い土木構造物をみると、即、架替・造り替えを頭に浮かべる技術者が 多かった。しかし登録有形文化財が増えてくると、いずれ補修や改修の問題がおきてくる。調査や工事は、コンサルや業者に依頼することになるが、そのときの 条件に土木史を受講したものでないと調査や工事を受注できないというようなことはできないだろうか。
 建築の分野では建築史は必修なので問題ないが、土木では土木史を必修とする大学は少ない。 土木史が知られるようになったとはいえ、土木史をまだ趣味ととらえ、役に立たない学問と考えている教授陣が多い。大学の土木史を学んだだけで、古い構造物 の調査や工事ができるとは思わないが、古い構造物を大事にする精神を少しでも醸成したいと思う。
 土木史だけでひとつの資格になるとは思わないし、また土木学会の土木資格者制度のなかで も、土木史分野の設置は認められなかった。いずれ、保存補修調査と計画、保存補修技術などを含む保存工学として独立した学問分野ができれば、資格として独 立させることも可能なのであろう。将来的にはこのようなことを考えるとしても、当面はどうするのか。
 ここでは、既存の資格である学芸員資格を有効利用する方法を提案したいと思う。学芸員の資 格をとるには、博物館概論や資料・経営論などの学科とともに博物館で実習をして、資格をとる。大学だと履修科目の順があるため、資格をとるのにふつう三年 かかる。毎年七千~一万人ぐらいの有資格者がいるが、博物館での募集人員が少ないため、その多くは資格を生かせないでいる。   
 博物館の学芸員は、あるときは研究者であり、あるときは企画立案者、あるときは展示デザイ ナー、あるときは説明者、あるときは経営者や事務員などの仕事もする。あまりにも他分野にわたるため、自嘲的に「雑芸員」という人もいる。多種多様な能力 を要求されるのが学芸員である。
 従来は、文科系で発掘調査にかかわる学生が多かったが、登録有形文化財制度ができ、建築・ 土木構造物の文化財が多くなることを考えると、工学系学芸員の有資格者のいるコンサルや業者に優先的に調査や工事を発注するのはいかがかと思う。その他学 芸員有資格者の活用方法はいろいろ考えられる。最近、資料室をもつ「道の駅」に学芸員資格者を設置することが話題になったとも聞く。
土木史学の発展と確立も、歴史遺産の将来の需給関係との関連で考える必要があるといえる。
(本本稿は、「建築とまちづくり」NO. 348 一九九六年九月号を再録したものです)



●森智昭(日本大学理工学部4年)
 非日常空間「京浜臨海部」


一.京浜臨海部をご存知ですか
 みなさんは京浜臨海部 の魅力についてご存知だろうか。近年、京浜臨海部は写真集や夜景ツアーなど密かなブームになりつつある。工場やサイロ群、横浜港を海からという非日常的な 視点から眺めるということが好奇心をくすぐる様だ。このスポットを私が初めて訪れたのは今年の六月の半ばであった。私が所属する研究室の伊東教授の研究の 一貫で京浜臨海部を船で巡る<グランドツアー>~川崎・横浜の運河めぐり~に参加させてもらったことが始まりであった。
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 参加前日までの私の実際の心境は「川崎は工場しかないし、横浜は出身地で馴染みある街であ るから、海から見ても特に感じることもないだろう。」というたいした期待もなく研究室のイベントの一貫ということから参加したというものであった。しか し、船に乗り込み出港するやいなや、私は一言も発さずカメラのシャッターを切りつづけていた。京浜臨海部の川崎地域はサイロ、クレーン、多種多様な船舶、 パイプの造形群、鉄塔といった非日常的な空間が広がっていた。私はその光景に心を奪われ様々なものを眺めていた。船は進み、川崎から横浜へと行く。
 私は神奈川出身で、幼い頃から親に連れられ買い物へ出かけたり、高校の帰りに学友と遊びに 行くなど慣れ親しんだ土地であった。みなとみみらい21や赤レンガ、山下公園といった海沿いの地区も身近な存在であった。しかしそれらは陸からのみ眺めた ことのある景色であった。今回、船で海から横浜を眺めてみて、今までの印象とはまったく別の景色が広がっていた。そびえ立つ建築物、港湾施設といった船か らの視線は、陸からとは世界が違って見えたのである。視点場が変わるだけでこれ程も印象が変わるものだと、身をもって感じた体験であった。

二.京浜臨海部、魅力度の意識調査
 この京浜臨海部の運河めぐりを終えて私の中で何 かが変わった。この素晴らしさは何処からきているのだろ。体験前と後での心境の変化は何故だろう、と。これらの心境の変化を多くの人からのデータで分析し てみたいと思い、私は自分の卒業研究として(仮題)「京浜臨海部における魅力度の意識調査」と題し調査を開始した。
 調査方法としてまずアンケート調査を行った。平成二一年七月十八日に行われた二度目の<グラ ンドツアー>~川崎・横浜の運河めぐり~で、参加者に出発前と到着後に同内容のアンケート調査を行い、参加者の意識変化を得ようと試みた。
参加者の協力を得て無事アンケートを回収することのできた私はその後、アンケート分析を行った。表1から 読み取れるように、アンケート項目のすべてにおいて平均点の差がプラスの値で表されている。これは出発前に比べ、到着後のほうがアンケート項目について感 心が高まったというものである。
 これ程までに全項目のポイントが上昇した理由として考えられることは、実際に現地を見て興味が出た ということも考えられるが、それ以上に大きな要因は「解説」があったことだと推察する。このツアーでは伊東教授による生解説が行われた。船が進み眼前に現 れる様々な構造物や船舶、さらには京浜臨海部の埋立や景観といった専門知識から私見に至るまで、参加者に多くの情報をツアー中に提供し続けたのである。こ れにより参加者の意識が高まり、最大で0.5ポイントの意識の向上がみられたものと推察する。

グラフ1

 さらにグラフ1の「平均点の差」において、川崎と横浜では大きな開きがあることがわかる。横浜は平 均点の差が比較的小さく、川崎においては多くの項目が大きな数値で出ている。これは私の推察であるが、横浜港は直接、陸から眺めることができるのと雑誌や テレビで取り上げられることの多い景色である一方、川崎港は陸地は工場地帯であるうえに観光船などが通ることの少ない航路であるので、こちらの方が非日常 的な景色で参加者の興味が高まったものと考えられる。

三.京浜臨海部へのすすめ
 現在、私はこのアン ケート調査を元に様々な分析を卒業研究で行っている最中だが、京浜臨海部への興味はさらに高まっている。冒頭にも書いたが近年、京浜臨海部は写真集の出版 やナイトクルーズといった企画が、テレビでも取り上げられるほどメジャーになりつつある。この動きはみなさんには参加しやすい企画であるので是非、体験し ていただき、京浜臨海部の素晴らしさを知っていただきたいと切に願います。



●中村尚昭
 11月21日のイベントルポ
 「皇居の橋ウォークと釣り船での橋めぐり

 智 恵子は東京に空が無いといふ。ほんとの空がみたいといふ。私は驚いて空を見る。(高村光太郎『智恵子抄』あどけない話)
 十一月二一日に開催された皇居の橋ウォークと釣舟による千代田の 橋めぐりに参加した。四〇名を超える参加者は小春日和の陽気のもとに桜田門に集まった。日大理工学部の伊東孝教授の道案内で、二重橋から和田倉橋、平川 橋、竹橋と回る。名前は知っていても、あらためてじっくり鑑賞する人が大半ではなかろうか。特に二重橋は観光ルートに入っていて、いつも記念写真を撮る人 たちで一杯である。昔の栄華を偲ばせる建築物が、当時のままの威容で保存されているヨーロッパ諸国と比べると、東京はせせこましい街だと感じているが、こ の皇居前広場はなかなかたいした光景だ。天安門広場より典雅な雰囲気を醸し出している。和田倉橋は環境庁の管轄(二重橋は宮内庁)で関東大震災により被害 を受けた旧橋は撤去されたが、後に下部がコンクリート構造で、上部が旧橋を模して台湾から運ばれたヒノキで作られたとは初めて知った。やはり斯界の権威の 解説は聞くべきだ。平川橋は木橋で擬宝珠に昔の職工の銘が刻まれているのが判読でき、時空を超えて想いを馳せることができた。竹橋を脇に見て清水濠を左手 に眺めつつ、千代田区役所裏の船着場へ着く。日本橋川につくられたこの船着場は、災害時の移動用にも対応されるらしい。
 さていよいよ釣舟である。舳先に座り込んでこれからの船旅を待ち わびる。ところが神田川に合流したとたん、行く手に作業中のごみ収集船が立ちはだかり通行できない。最初に冷や水を浴びせられた気がしたが、数分で作業が 終わり無事に進むことができた。水道橋や聖橋をくぐるが、このあたりは橋の上の歩行者が多く、お互いに手を振って挨拶しあうのが微笑ましい。今井正監督の 名作『また逢う日まで』(昭和25年公開)で映画史上に残るガラス窓越のキスシーンを演じた久我美子ふんするヒロインが、聖橋で岡田英次を待っている時に 空襲で駅が破壊されるシーンを思い出した。聖橋はその名の如く優美な橋であり、真下に来た際に手を叩くと見事に反響する。
 いったん隅田川に出て再度日本橋川に入るが、見る橋、くぐる橋が ほとんどすべて高架道路でふさがれていて、冒頭に述べたように空が見えない。密室に拘束されてしまったような閉塞感を覚える。都市としては機能的だろう が、景観的には橋自体の構造美が押し殺され、日本橋は言わずもがな、ほとんどの橋が見る人の心に入ってこない。川幅が広く波高を感じられ、空が大きく見え る隅田川をしばらく回遊して、一転して狭隘な日本橋川に入り込んだため、視界の変化による違和感もあるが、あまりにも窮屈な印象を受けたのは私だけであろ うか。韓国の李明博大統領がソウル市長時代に完遂した、高架道路をはずして清渓川を復活させたような事業が、遠からず日本橋川でも成就されることを夢想し た。
 いつの間にか、日が翳り温度も下がって多少の肌寒さを覚えてき た。日々心に去来するよしなしごとを思い浮かべつつ船を下りて、幾人かの朋友を誘って巷の酒亭へと足を向けた。美酒を飲める場合が二つある。一人で夢想に 耽る時と朋友と楽しく語る時である。

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●「皇居の橋ウォークと釣舟での橋めぐり」ご意見・ご感想

橋をデザイン面や歴史の 面から考えたことがなかったので、とても刺激になりました。街を見る楽しみがまた一つ増えました(20代女性)

通常では見られない角度から東京の街を見ることができて新鮮でした(20代男性)

先生の説明がとてもていねいで分かりやすかったです。トランシーバーがあってよかった。もっ と続けて下さい。ありがとうございました(30代女性)

毎日、自転車で通っている橋たちを見上げてみました。どれも美しい橋で、川の環境を良くして 誰もが見上げられるならば、良い橋はのちのちまでも残っていくのではないでしょうか。ありがとうございました(30代女性)

時間配分が悪い。もう少し余裕のある行動にすべき。
船の方は3時間の予定が、半分以下の1時間20分で終わってしまった。もっとゆっくり回れそ う。
前半を少し長く、後半は2時間くらいが丁度どよいのでは?(30代男性)

架けられた背景や由来など、もっと聞いてみたかった。短い時間にたくさんの情報をありがとう ございました(40代女性)

今のコースをもう一度ゆっくり観たい(50代女性)

初体験。アカデミックな説明をききながら、歴史、構造、舟運など未知の世界が東京にかくされ ていることがわかり、脳内革命でした。男性の創造力にも思い知らされました(50代女性)

とても楽しかった。先生の丁寧な解説で、江戸の橋にとても興味がもてました(50代男性)

ウォーキングが少し長かったかな?と思う程度で、全体として適度な時間でした。また新しい企 画を楽しみに待っています。(50代男性)

初めて参加しましたが、日頃気にかけない所を興味深く見学させていただきました(50代男 性)

スカイツリーや勝鬨橋をコースに入れてほしい
(50代男性)

橋が建てかえられて、アーチ橋は今の形の橋はもうできないということでとても残念です(60 代女性)

貴重な体験ができました。橋の下から眺めると、また違う姿が見えました。あまりに高速道路が できていて、まわりの景色を変えてしまい残念ですが、水辺を大切にする動きが少しずつでていて、少しほっとしました(60代女性)

私には魅力的な企画でしたが、初めての方には少し盛りだくさんの内容で、理解できたかなと思 います。
2回にわけてもよかったのではないかとも思います。水への興味を沢山の方に知ってもらうこと が必要と思いました。(60代女性)

初めての橋めぐりでしたが、大変楽しめました。
歴史ある橋がなくなるのは残念です。特に高速道路が橋の景観を壊しているのは、東京の良さを なくしています(60代男性)

都心の川の上部が首都高でおおわれていたのが非常に残念。失礼ですが、橋オタクの存在を初め て知りました。ありがとうございました(60代男性)

水辺から見る橋、景観は経験することがなく、大変有意義であった。この魅力を多数の人に知っ てもらいたい(60代男性)

先生、ご苦労様でした。専門家にやさしく丁寧にご説明いただき、仲間にも聞かせてあげたくな りました。川を専門にしておりましたが、ようやく東京にも川からの眺めを楽しむ催しができるようになってきてよろこんでいます。是非、この試みを続けて頂 けるよう願っております(60代男性)

橋の上は日常的に通いなれた道ですが、下から見ると思いがけない石垣、橋の構造に新しい造物 をみました(70代以上女性)

先生の説明も非常に的確で理解しやすく、橋や川に対する興味が一段と増した。特に、千代田区 の助成を受けているとのことで参加費を安くおさえられ、とてもよい企画だった。最も印象的だったのは、船での川めぐりで、こんなに多くの橋が、次から次へ 出てくることへの驚きだった。いつの日か、今後は見た橋を地上で巡り渡ってみたいものだ。これからもこのような企画を実行してもらいたいが、出来ればス タート時間をもう少し早くしてもらえるとありがたい(70代以上男性)

昔のおもかげを残すようにお願いしたい(70代以上男性)




●「かちどき 橋の資料館」の現況

 「資料館」は、かって 橋を開閉するために使用していた変電所を改修して平成16年4月29日に誕生した。それは、前年7月の定例都議会で、「勝鬨橋跳開」質疑に答弁した石原都 知事が、「個性的な構造、巧緻にできたメカニズムをもち、都民から親しまれてきた橋の跳開企画は、閉塞した気分をパッと広げるためにはいい企画ではない か…」と発言した時から、10ヶ月後に現れた反応であった。
 「勝鬨橋跳開保存」の灯りも揺らぎかねない現状下、あれから約5年経った「資料館」の利用 度にどのような変化があったのか?その実態が知りたかった。
 訪問記録を見ながらご説明いただいた結果は、リーマンショック以降の景気低迷期にありなが ら、訪問者数は微々ではあるが意外と増えており、昨年の月平均訪問者数は四九二人であった。また数多くの事例も伺うことができた。「跳開保存」に対する都 側の動きは遅々としているが、一方、地味ではあるが、ホームページ上での「勝鬨橋」に関するイベント企画とそのPRが各方面の活動アイテムで選択利用され ている事実を知った。都側には、「跳開保存」模索の灯りが未だ消えていない、との感触を得た思いであった。
 下記に示す訪問事例は、わたしども、また、地域の活性化を望む「地元」の活動にも、そのヒ ントを暗示しているように思われた。
 「跳開保存」を志す者みんなで再び団結を強くし、政権交代も、長引く低迷期も、それをチャ ンスとした新たな活動策で来年に挑戦したいと心に強く誓った。

【訪問事例】
 *ウォーキングルート(築地地区、月島地 区など)の通過点として。
 *勝鬨橋回顧、思い出の対象として(個人 グループ)。
 *探求グループ(学生、コンサルタント、技 術関係、土木関連会社、会社OBなど)
 *中・高校の自主研修の一環(アメリカン ハイスクール、静岡の中学校からも)
 *街活性化探求の海外グループ(ロンドン・ アーキテクチャーグループなど)
 *景気低迷期のツアー関係(ウォーキング グループに似ている)
(スタッフ・加藤 豊)


●橋めぐり誌上写真展

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●大須賀豊/「勝鬨橋」を集める


 橋に関する本は、土木学会の示方書などの技術書 から、完成したものを紹介する写真集や、歴史書、見て歩き紀行文など多岐にわたります。土木構造物は、それだけではありません。ダムや、堰、護岸など土木 遺産を紹介するものなど多数あります。
 旅に出かけた時、私が、『あの橋は・・・・』とカメラを向けると、隣の方は、『あの電柱は、・・・・』と別の方向にカメラを向けだしました。よく聞く と、電気関係の会社にお勤めとのことでした。趣味はみなさんいろいろあるようで、人それぞれのようです!そういえば電柱を特集された写真集も最近出版され ているようです。たしかに、夕日をあびた送電鉄塔と、その間を繋ぐ電線の懸垂曲線は、力強くあり、かつ美しく見えるときがあります。それは、橋梁美につな がるものがありますが、橋の写真アングルの邪魔をする時もあります。
 さて、町の中を歩いていると、マンホールに橋が描かれているのに出会うことがあります。横浜市の下水用マンホールは、ベイブリッジがデザインされていま す。相模原市の隣の城山町では、小倉橋がデザインされています。各地にも多数あるようです。橋の見て歩きの観光をした時に、そんな出会いがあると、それも またうれしいものです。すかさず、写真に納めてしまいます。ちなみに、マンホールの写真集も出ています。
 橋がデザインされているのを注意深く生活の中で見ていると、御菓子や地方の名物の包み紙に登場することがあります。また、ワインや酒壜のラベルにデザイ ンされていることがあります。食べたり呑んだりした後に、ついでに集める楽しみがあり、楽しさ二倍です。
 集める趣味といえば、昔から記念切手があります。橋の開通記念の切手や、地域を特集した記念切手に、デザインされることがあります。それらの切手を集め て、『切手に見る世界の橋(歴史と文化を訪ねて)』と題する本まであります。郵便収集の世界では、切手本体もさることながら、風景印(消印)を集める趣味 もあります。勝鬨橋も、東京中央勝どき局と東京中央築地六局の風景印に登場しています(写真―1)。
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切手の世界はとても奥が深そうなので、このくらいにして他を見てみましょう。
 東京都交通局で発行されていたTCard(パスネット)¥1000に、「東京の橋・勝鬨橋」と文字がそえられたものがありました。TCard¥5000 には、俯瞰の全景がデザインされています(写真―2)。
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JR東日本の総武線、両国駅では、オリジナルのIOカード「隅田川の橋シリーズ」がありました。たぶん勝鬨橋もあった でしょうが、残念ながら、入手できていません。他はないでしょうか?勝鬨橋がデザインされている食品などの包装紙は、まだ発見できていません。佃煮などに ないだろうかと周りの築地地区などを見て歩きましたが、残念です。何かありましたら情報をおよせください。
 集めだすときりがないようです。本が山になり、アルバムやスクラップブックが増えつづけています。どこまでつづくのでしょうか?勝鬨橋が開いた時に記念 切手が発行され、アルバムの最終ページを飾ることを祈りつつ、筆を置きます。




「C-bridge 活動中間報告」

  平成二一年十一月一日の日曜日に、「第十一回千代田区まちづくりサポート中間発表会」がありました。助成金をいただいているので、活動グループ「C- bridge」に参加しました。当活動は、「Ponte31号」で紹介されたように、ブリッジ・ウオークや、釣舟による橋めぐり観光で、「千代田区のまち づくり」に貢献しようとするものです。
 今回は、十四チームの発表がありました。
 当グループは二番目に、日本大学伊東研究室の学生三名、社会人一 名により、観光ルート設定の基礎となる徒歩や舟でみた橋の意識調査について発表しました。活動は、会の継続的な運営や、採算性などの問題もありますが、三 年目なので、審査委員の方より、まとめとしての成果物に期待がよせられているとの助言がありました。
 他のグループからも、いろいろなテーマで、町ウオークの提案があ り、ウォーキングマップなるものを提示していました。当グループは、他のグループには真似のできない、川から橋と建物を見て、新たな千代田区の観光につな がるユニークな提案をまとめる予定です。古い建物には、川から荷物を出し入れした名残りがみられます。川を眺める窓があります。また、川や橋を見ながら食 事のできる店舗もあります。道路側の景観からだけが千代田区ではないのです。橋も下からの眺めのほうが、いろいろな発見があります。御期待ください。(発 表参加者より)




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