シンポジウム

勝 鬨 を あ げ よ う !



昨、04年の12月10日、シンポジウム「勝鬨をあげよう!」が開催されました。シンポジウムは、消費生活アドバイザーの阿部絢子さん(あげる会会員)の司会のもと、森まゆみさん(作家)、立石晴康さん(NPO法人水と緑と光に輝く中央区研究会、以下NPO中央区研究会)、望月崇さん(隅田川市民交流実行委員会)、伊東孝教授(あげる会代表)の四人によるパネルディスカッション形式でおこなわれました。シンポジウムに先立ち、NPO中央区研究会長の柴崎仁久さんと中央区長の矢田美英さんからお祝いの挨拶をいただきました。以下、概要を報告します。(敬称略)


1.勝鬨橋に対する思い

伊東:勝鬨橋をあげたいという思いは、僕は二二年前からもっていました。というのは今の「勝鬨橋をあげる会」の前に、「東京の橋研究会」という市民グループをつくっていました。釣り船をチャーターして「下町の橋巡り・町巡り」を企画し、はじめて勝鬨橋の下をくぐったときです。「ああこの橋、昔はあがっていたんだよね。橋がもう一度あがるとかっこいいだろうな」と思ったのが発端です。「東京の橋研究会」の活動を七年間おこない、その後「勝鬨橋をあげる会」をつくり、一五年になります。
勝鬨橋をあげるための理由をもう少しちゃんと考えようとなりました。橋があがれば、動態保存になる。下町の活性化にもなるんじゃないかと、わいわいガヤガヤ議論しました。みんなでお金を出し合って勝鬨橋をあげようと、「勝鬨債権」をつくったこともあります。今日みたいに一般の人向けに集会をもったのは、一五年ぶりです。しかし「勝鬨橋をあげよう!」と、三つの市民団体がこのように一同に会してたのははじめてです。

望月:私も土木屋としていろいろやってきているんですが、使えるものはまず使えるように保存するのが第一じゃないかと思います。また動くものは動くようにして保存するのが一番いいと思います。勝鬨橋もちゃんとハの字にあげて動く橋なんだと保存していく。若い人たちにもあがっている姿をみせ、記憶としても残したい。勝鬨橋はずっと残っていけばいいなあという思いと、またどうしてもあげてみたいという思いがあり、今日もでてきたわけです。

立石:われわれは多くのものを失っているのではないか。そういう思いで、隅田川あたりを歩いておりましたとき、昭和一五年に可動橋をつくった先輩の技術者はどんな思いであったのか。計算機もパソコンもなかった。そういう時代背景をふと思ったことがあります。
「すごいなあ」と。日本人の知恵というか技術力というのはすごいものだ、子供さんがたにも、あの時代のすばらしい日本の技術が、今日の繁栄をもたらしたんだと伝えたいと思います。
それが、僕が勝鬨橋をあげたいという、純粋で純朴な思いです。

森:私は保存運動をする中から、またみんなが歴史性に注目するようになってきたことから、今や歴史性というものを抜きにして都市は語れないと思っています。私たちが保存に関わった建物は、文化財でもなんでもなかったんですが、東京駅もみんなの力で逆転し、残ったら、今度は復元をきちっとする、そして重要文化財にも指定されるということになりました。ですからこれは「できない」と思わずに、「できる!」と思ったほうが、また力を集めれば勝鬨橋も必ず上がるというふうに考えた方がいいと思います。それが自分たちの生きがいになり、夢になるって形で、一緒にやっていけたらと思っています。


2.勝鬨橋をあげるには

阿部:残していくこととか、将来につなげていくということがすごく大変なんですよね。長らく隅田川の交流に携わってらっしゃる島さんに、地域の保存について一言うかがいたんですけれど。

島:勝鬨橋はとても美しく、しかも風格があるんですね。これは、地域だけでなく、わが日本民族の宝であると思うんです。もっと生かすことによって、土木技術者の情熱を後世に伝える大事なものだと思います。
技術者ががんばると、文化の面で後世に生きていく。私が一番技術屋冥利につきるのは、一生懸命つくった作品がもとになり、それが文化に昇華していく、こういう日本のすばらしさをたたえたいと思います。

森:やっぱり勝鬨橋の文化的価値を強調しないとダメで、運動というのは、できるだけいろんな入り口をつくんなきゃいけない。例えば、上野駅の保存をしていたとき、上野駅を舞台とした小説や歌を集めました。いろいろな手法で興味ある方たちを巻き込むきっかけをつくったわけです。ですから勝鬨橋の文化的な面が出てくる絵とか、詩とか、歌とか、物語とかをどんどん発掘していくことが、ひとつ。それからもうひとつ。東京駅の保全活動のとき、みんなに東京駅の思い出をいっぱい書いてもらった。さまざまなレベルの思い出があるんですけれど、駅はみんなのもので、みんなの通過点です。橋もみんなの通過点です。中央区の方だけのものではなく、いろいろな処の人がそこを通り、メモリーがあると思います。勝鬨橋の思い出を全国的にたくさん集めていただけたら、運動も広がっていくのかなあと思います。

阿部:今もし、みんなであげようって、あげる状況になったとき、橋はすっとあがるんでしょうか。それともちょっと時間がかかるのでしょうか。
望月:それなりの調査をかけないと危ないんじゃないでしょうか。「あげる」となった場合、必ず閉まり、その後、車もちゃんと通るよと、一〇〇%技術的な保証がない限り、なかなかできないんじゃないかと私は思います。

伊東:もちろん技術的な調査が必要なのはわかるんですが、望月さんは、現役バリバリで生粋の技術屋さんですから、慎重な発言をなさっていると思うんです。非常に大雑把な話をしちゃいますとね、月まで人がいけるんだから、お金はかかるでしょうけど、技術的には可能だと思うんですね。
望月:技術的には必ず一〇〇%できると私も思ってます。それに対して、どれほどのお金がかかるとかですね。一〇〇%できないことはないと思っています。

伊東:都庁の技術職のトップの方に相談しにいったことがあるんですが、その時いわれたことは、次のようなことです。技術的な問題については何とかなるだろう。勝鬨橋をあげるには、一〇億円ぐらいのお金がかかる。しかし東京都としては、その一〇億円をどういった名目で出すことができるかということだ。あなたたちが、市民の立場で世論作りをしてくれるのが、一番いい、と。これは、わたしたちの運動の趣旨とまさしく一致しているのです。あちこちで「勝鬨橋をあげよう!」「あげよう!」という声があがれば、おそらく行政は動くと思います。だからといって東京都にお金を全部出してもらおうというのではなく、最初のころしたような債券方式でみなさんからお金を集めるやり方があります。また実行委員会方式というのがあります。みなさんご存知の隅田川の花火大会は、実行委員会方式でお金を集めています。墨田区とか台東区はもちろん、地元の企業などからもお金を集めています。お金の集め方は工夫すればいろいろあると思うのです。一番大切なのは、「勝鬨橋をあげよう!」と大きな声にすることだと思います。


3.フロアーからの発言

フロアーから何人かの方が発言されましたが、中野茂樹さんの発言が一番印象的で、会場もわきました。

小森:勝鬨橋に残るものはないかといわれてましたが、「月島音頭」というのがあります。歌詞は忘れてしまいましたが。子供のとき考えたことがあります。雪の降る日、橋があがると、雪がみんなおっこってきちゃうんですね。そのため橋を管理しているおじさんは、雪が降ると、一生懸命、雪をはいていました。サーッと雪かきができればいいなと、子ども心に思いました。

中野:橋が閉まんないことを心配されていますけど、閉まらなくてもいいんではないかと思う。みんな見にくると思うんですよ、閉まんない橋を。(笑い)文化的価値、技術的価値、いろいろあると思うけれど、橋があがるということは子供でもわかるひじょうにインパクトのあることだと思う。それを昭和のはじめにつくったのは、先人の力を感じるし、単純にすごいことだと思う。そのへんをもっと、「おもしろいじゃないかよ、これって」というような、あがって、さがって、おまけに下がる時ちゃんと閉まんなくて。いろいろ工夫して、すいませんけどもう一度あげますっていうほうが(笑い)、よっぽど活性化するし、話題となり、世界中から観光客が見にきますよ、きっと。(大拍手)


4.勝鬨をあげよう!

シンポジウムを終えるにあたり、アピール文「勝鬨橋をあげよう!」が地元の鈴木えり子さんから読み上げられ、三団体は、会場に集まったみなさんと一緒になって今後とも勝鬨橋をあげるための活動を続けていくことが確認されました。
最後にNPO中央区研究会の副理事長新川有一さんの音頭で、出席者全員で勝鬨をあげて閉幕となりました。
新川:東京を変えるのは、水辺を中心にして変えなければならないんです。右手に夢・ロマン、左手にソロバン、背中に堪忍袋、じゃないですよ。堪忍袋だと切れちゃいますから、忍耐袋しょって、私の人生歩いているわけです。どうかそのつもりで、みなさんお立ちいただいて、声が小さかったら何回でもエイエイオーで三回唱和しますよ。いいですね・・
(会場全員)エイエイオー
やりますからね。(笑い)エイエイオーで三回唱和しますよ。それが中途半端で、そろわなかったら六回!(笑い)いいですね。やりますよ!エイッ!
会場全員:エイッ!
新川:声が小さい!(笑い)もう一度!
会場全員:エイッ!エイッ!オー!
新川:ありがとうございました。


三団体共催という初の試みを成功させたことは、「勝鬨橋をあげる会」にとって貴重な経験となった。なにより、多くの人の勝鬨橋に対する思いや期待が伺え、今後の大きな原動力となっていくだろう。

今回のシンポジストと司会者の方々、またシンポジウム実行のために動いてくれた「隅田川市民交流実行委員会」「NPO法人水と緑と光に輝く中央区研究会」の実行委員の方々、そして「勝鬨橋をあげる会」のワーキンググループの方々、会場を訪れてくださったすべての方々にお礼を申し上げます。

記録:神辺晴美(日本大学理工学部社会交通工学科学生)



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